柿本山 影現寺 -柿本神社神宮寺-

柿本山 影現寺の沿革

柿本山 影現寺は、済衝2年(西暦858年)に弘法大師空海の直弟子である真済上人によって開かれた高野山真言宗の寺院です。 元来この地には、影現寺の創建前から、柿本人麿を祀る柿本神社があり、一説には真済上人は柿本人麻呂と又従兄弟の関係にあると言われており、苦難の人生を歩んで来たと思われる柿本人麻呂を弔うために、また、神格化された柿本人麻呂を祀る柿本神社を護る神宮寺として建立されました。  
柿本神社の周辺地域は、持統・文武朝(687〜707)時代に宮廷歌人で「万葉集」最高の歌人と賞された柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜って居住した所という言い伝えがあり、神社の社伝には、石見国で死去した人麻呂を、宝亀元年(770年)この地に改葬し、その傍らに「人麻呂堂」と呼ばれた神社を建立したと伝えられています。(当代宮司 福井良祝氏)  
拝殿の南側の「柿本太夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑は、江戸時代播州明石から転封となった大和郡山藩主松平信之が天和元年(1681年)建てたものです。人麻呂像(写真参考)は木造で、「はめ込み式の首は、歌人であることからか、夜中に月の出る方向に向く」との言い伝えがあります。 過去、葛城山麓には、修験道、真言宗の寺院が千ヶ寺あったと言われており、影現寺もその一つでありました。当山では開創以来、数多くの高僧を輩出し、その中には、梵字悉曇の慈雲流で高名な慈雲尊者も当寺院に逗留し修行をしたと記録に残っております。
因みに、慈雲尊者自作の軸も伝わっております。
現在当山には本堂、薬医門、鐘楼など有するところですが、本堂は17世紀後半に再建されたもので、薬医門、鐘楼も幾多の天災や、火災による焼失などを経ることになりましたが、その都度地元大字の信者様方の温かい支えにより、その都度再建頂き現在に至っております。
影現寺は、まさに、歴代住職大徳の御精進と、長年にわたる地元の方々の温かい願いで現在に至るまで連綿と法脈を保ち続けた、信仰の厚い寺院であります。
寺名の影現寺の「影現」の意味するところは、仏、菩薩が衆生を済度するために来臨されること指すとお経に記されています。