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2014/06/06

松本手司さん紀行文

いきなり尾頭な話で本当に恐縮ですが少し、 チビッている。 後ろもすこし、 ヤバく感じる。お四国八十八ク寺巡拝で、 長い石段を途中何回も休みヤット昇り切って近くの水場の柱にしがみついた所。 心臓はバクバク 、 息はゼイゼイハーハー、 両足はガクガク、頭は貞っ白。
ふと気がつくと酒井さんが背中をさすって下さっている。
思えば階段を登る時いつもすぐうしろについてくれて「無理をするな」と言い間かせて気使かつてくれていた。
今中さんがビニールの袋をひろげて「ここで息をすれば楽になるよ」と言ってくださる。
見渡せば、 皆さん心配そうにみまもって下さっている。 面目なくて申し訳なく、 同時に有難くてこみ上げそうになる。
荒い息が治よるまでの約石分間いろいろなことが頭をよぎる。
一昨年秋に逝った要が迎えにきているのか、 もしそうであるなら、この儘そちらに行ってもよい。
覚悟はできている。 然し一瞬見えた妻の面影が消えてしまった。
も少しこちらで頑張れと言いに来たのか?…

ことの起こりは昨年の春先、影現寺様からお四国参りのお誘いがあった。
その時「右足膝偏形性関節炎」で人並みに歩けなくて、もし行けば同行の皆さんに迷惑をかけるからと言つて辞退した。
その後、 学生時代の同窓会があって親しい友人にその話をした。友人uが「普段から機会があれば行きたいと思つていた」という。
彼は厳しい業界で鉄鋼会社を経営する現役の社長である。時には迷うこともあるのだろうと想定する。そして他の友人mにも二人から誘ってみた。
彼は、 東大阪鉄銅団地の中で工具類の製造販売する会社の社長を経て、 会長を引退した 頑固者であり、 その一徹ぶりは父親譲りであるが、 uと私の二人でおくさんと一緒に参加するよう助言すると、あっさり乗ってきた。
三人とも小学生時代からの友で気心の知れた仲である。
一人ひとりは不十分な体力だが「三人が助け合えばなんとかなるのではないか」と話はまとまった。
が然し影現寺様にとつては、 部外者であるメンバーである故受け入れてもらえるかどうかわからない。
「私からたのんでみる」と二人に告げて別れた。
四国巡礼については三十余年の昔この二人に関わる不思議な因縁があって、今回目に見えない糸が何かを紡いでいる感がある。
ともあれこの経過を、 包み隠さず育木住職に伝えたところ,「ご縁を大切にしたい」と快く受け入れて下さった。

新参者と部外者三人が参加させていただいた、 このたびの十泊十四日の巡礼旅では、随分と皆様に迷惑ばかりかけましたが、 百木住職を始め御一行の皆様方の温かい心配りをいただきながら、何とか八十八ヶ所寺参拝を結願させていただけたことを誠に有り難く厚くお礼を申し上げる次第であります。
振り返ってみれば「発心の道場」と「修業の道場」では、 とにかく遅れないように着い てゆくのが、 精いっぱいで無我夢中の旅でありました。
そして「菩提の道場」でのある晩のこと。 天の声を聞いたのです。 それは短い一言でした。
「言う前にやれ」 然しそれには付録がついていた。
「飲みすぎるな、食べ過ぎるな」そして「授かった丈夫な体を永続きさせる工夫をせよ」と。要するに「ほどほどに食して体を大切にせよ」と問いた。
90キロにもなる体重とおおきな腹、 これでは足が痛くなるのは当たり前である。この声を有り難く頂いた。 そして今よでの不摂生を反省する。

4月25日「菩提の道場」から家に帰り翌26日早朝から歩き始めた。 家の街区を2周して2 千歩 、次は少し伸ばして3千歩、5千歩、狭山池まで往復して8千歩、と伸ばしてみたが、良いほうの左足首が腫れてきた。 無埋が過ぎたようだ。
体力と相談しながら「ほどほど」にすこしずつ運動量を増やしてゆくことにした。
とにかく「言う前に」である。
「涅槃の道場」 最初は「妻への供養」のつもりであった。
然しお参りの回を重ね、 逢う人々とのご縁と、 参拝の際この身に伝わる苦楽が、御仏の言葉なき教えと感じて、今では「自分自身のための参拝」だと思うようになった。
足の痛いことを出来ない理由に利用していないか?
困難からのがれて楽な方向へ逃げていないか?
「言う前にやれ」の一言が、いろいろな反省となってこの身に浸みてくる。

高野山奥の院にお参りを済ませて振り返ってみれば1200年もの昔に偉大なる思想と実行力で人々を働かせ、 途方もない力量で寺を建立された人々がいた事実それに比して現代に生かして載いている私は、 かつての人々のおかげで近代的な生活を送らせてもらっているのに苦しいなどといえたものではない。
バスの中から時々見かけた歩き遍路の人々からみても我我のお参りは、 どこかまちがっていないかと叱られそうな気がする。
文明の世界に生かせて戴いている幸せを有り難く感謝し、 つくづくよい時代の良い環境におかれていることに更なる感謝の気持ちで残された余生、いわゆる「人生のロスタイム」をより有効に充実の日々で送りたいものと願いつつ…。

合掌