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2014/06/06

酒井郁雄さん紀行文

私は、6 7歳であります。
この齢にして、四国八十八ヶ所霊場の巡礼をやっと「満願成就」できました。
これ偏に先達頂いた育木ご住職と「人麿真済会」の皆さんのお蔭だと感謝しております。
私も、就職から始まる誰しもが辿るであろう道筋を矢継早に歩んできました。昨今、少し足元に目を向けることが出来るようになりました。
すると不思議なもので、「人生を振り返る機会」が来たのではないかと直感しました。それには、「時間の流れ方」を考える必要があるのではと思った時に頭に浮かんだのが何故か「お四国遍路」でした。
多分、信心の厚かった亡くなった両親が導いてくれたのでしょう。嬉しいご縁を感じて おります。
しかし、いざ行動となると中々一歩が踏み出せまん。この時に、背中を押してくださったのがご住職でした。
今回の「お四国遍路」は、平成26年9月第1番霊山寺から始まり、第88番大窪寺、更に高野山奥の院迄続いた巡礼で、平成26年6月に終わりました。
特に、「お四国遍路」開創1200年の吉祥の年に当ったことは「齢の巡り合せ」を感じずにはおれません。それも6月にです。
私事でありますが、私の父は、平成1 9年6月に亡くなりました。父の葬儀が終わった時、母がぽつんと一言「おいづるを着せてあげるのを忘れた」と呟きました。
余程、残念だってのでしょうか、こと有る毎に「おいづる、忘れた」と悔やんでいました。
その母も、翌年6月に亡くなりました。母の棺の中に忘れず父の「おいづる」を入れました。
母は、亡くなる前、「もう思い残すことはない」と遺言で言っておりましたので、これで父への「忘れもの」を届けられ、安心して旅立って往けたのではないかと思います。

今回、私もお遍路満願ということで 「おいづる」を頂きました。
それも6月にです。
これにより「一入の達成感」が得られました。心の中でストンという音とともにこれよ での憑き物が何かしら落ちた感じがしました。
また、息子が満願の「おいづる」を見て、親父も「死装束」ができたね、おめでとうと言 ってくれました。
四国八十八ヶ所霊場は、父から私へ、そして息子へと繋いで行くものだと実感しました。
さらに、ご住職から巡礼中、四国八十八ケ所霊場各札所の「お砂」をそれぞれ集めることを依頼されました。
これは、ご住職が影現寺の境内にお四国遍路が出来ない方の為に「お砂踏み場」を設置しようとするお考えに基づくものであります。
固よりその「お砂」を札所と考え、「お砂」を踏みながらお参りすることで実際にお遍路 をしたことと同じご利益があると伺いました。
このような大役を授かり、各札所から一心に「南無大師遍照金剛」と唱えながら「お砂」を頂きました。
それでも、「人麿真済会」の皆さんと各札所を巡り、只管に「般若心経」を唱え続けていると「無心」になれ、 気持ちが豊かになりました。
最初は、唱えることで精一杯ですが、札所の門をくぐる毎に「時間の流れ」もゆったりと感じられるようになりました。
この湧き上ってくるような気持ちはお遍路をしなければ、 到底至らないものだと思います。

特に、私は「しんがり」を歩きましたので、松本さんをはじめ、お一人お一人の思いを背中に感じられました。
お大師様と共に歩む「同行二人」だからこそ、「ご緑」を結ぶことができたからこその賜物だろうと想をめぐらしておりよす。
今回の巡礼で得られたもの、「金剛杖」、「おいづる」、「納経帳」は、これからの残りの人生の宝物とします。
また、 「一入の達成感」は、 我が家のお仏壇に夫婦二人で「般若心経」を唱えながら大事にしていきたいと思っております。
ありがとうございました。

合掌