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2016/03/25

第8回 西国巡拝の旅

30番 竹生島 宝厳寺
31番 嫉綺耶山 長命寺
32番 繖山 観音正寺

今回は、31番娯綺耶山 長命寺からお参り致しました。
808段もある長い石段を、皆さま一歩ずつ踏みしめて登っていらっしゃいました。
この名刹は、武内宿彌けのうちのすくね)がこの山に上り、『寿命長遠諸元成就』の文字を柳の大木に彫り、三百歳の辰寿を保ったという伝説があり、その後、聖徳太子がこの地を訪れ柳の木を見て、感嘆していると白影の老人が現れ、『この木で仏像を刻み、寺を建立するように』と告げ立ち去ったそうです。
太子はこのお告げの通り、この柳の木で千手十一面聖観音三尊一体の像を刻み、推占天皇27年(619年)に本尊として祀り、武内宿彌長寿霊験の因緑で長命寺と名付けたのがこの寺の創始とされています。

 

石段の修行を終え、安堵の微笑みの皆さまと本堂の前で記念撮影です。

 

続いて、京都府宇治市の32番繖山 観音正寺をお参り致しました。
この古刹は、聖徳太子が琵琶湖のほとりで人魚に呼び止められた時、人魚は『私の前世は漁師で、殺生を重ねてきたので、こんな姿にされてしまい、今では魚たちに苦しめられています。どうか成仏させて下さい』といって頼んだそうです。
聖徳太子はこの願いを聞き入れ、千手観音像を刻み、推古13年(605年)に堂を建立し、観音像を祀ったのが寺の縁起とされています 。

 

門番の金剛力士様の様に堂々とされています。

 

続いて、 近江八幡で昼食をいただいた後、30番竹生島 宝厳寺をお参りさせていただきました。
彦根港から船で向かいました。

 

この寺院は、神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願により、行基菩薩が竹生島に来島し弁才天像を造り小堂に安置したのが創始と伝えられています。
他に、行基が聖武天皇の勅願により寺を創始したのは天平10年(738年)であり、小堂に安置したのは行基が刻んだ四天王像であるという説もあるようで、 いずれにしても明確ではないようです。
また、 弘法大師様もここで修行をされたという事が伝わっており 、さらにありがたい気持ちが湧きあがってきます。
いよいよ次回の9回で結願となります。だからこそ気を引き締めて詣りましょう。